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劉康 (前漢)[りゅう こう] 劉 康(りゅう こう、? - 紀元前23年)は、前漢の元帝の次男で、成帝の異母弟。母は傅昭儀。 == 生涯 == 永光3年(紀元前41年)に済陽王に立てられ、その後、山陽王、定陶王と遷った。 定陶王は多才多芸で、音楽に優れていたため、音楽が趣味であった元帝に愛された。元帝が重態に陥るとと定陶王が側に仕えて皇后王政君や皇太子(成帝)はほとんど面会できなかった。元帝は皇太子の交代を考えたが、侍中史丹が元帝を諫めたため取りやめた。 成帝が即位すると、定陶王は元帝に寵愛されていたことから厚遇された。陽朔2年(紀元前23年)に死亡し、恭王と諡された。丁姫との間に生まれた子の劉欣が定陶王を継いだ。 子の劉欣は後に成帝の皇太子に選ばれ、成帝が死去すると皇帝に即位した。これが哀帝である。哀帝は即位後に実父である定陶恭王劉康を尊び、王太后に詔を出させ、「恭皇」と称して皇帝と同等に廟を立てた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「劉康 (前漢)」の詳細全文を読む
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